Designer in World from Nagoya (デザイナーピース)

名市大の修士(芸術工学)の僕がデザインしたデジタル映像商品とデザイン商品(視覚系)を紹介し、観てもらいます。今の新しい世界的なデザインを広め、オファーを得ます。
Designer in World from Nagoya (デザイナーピース)を終了します。
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    Designer in World from Nagoya(デザイナーピース)を今回をもって終了します。
    ブログを始めてから5年と156日経ちました。
    最後に映像イメージ論–想像力と映画(映像)という批評の論を載せました。

    フェイスブックに載せた、僕の初批評作品、論考―最近の僕らの若者文化(ユース・カルチャー)についてに次ぐ2番目の批評作品、論である。
    この論の中で映像とイメージの関係、創作とイマジネーションの関係を論として、論じている。
    映像イメージ論という新しい論を提示できたと思う。
    大学院でブログを始めたのであるが、大学院生としての活動、創作活動、『イメージあふれる夏』の制作、創造過程についてなど、いろいろな活動を載せることができました。
    大学院は短く感じられる4年間の博士前期過程でしたが、楽しいこともあり、大変なこともありましたが、無事に修了でき、晴れて芸術工学修士の学位を取得することができました。
    大学院を修了後は映像・デザインのクリエイターとして活動しています。
    クリエイティビティーあふれる作品を発表しているつもりですが、世の中の評価はまだまだです。
    これからもポストマスターとして、いろいろな活動をしていきたいと思っています。
    大学の先生、 TV局員になりたいという希望もありますが、Designer in World from Nagoya(デザイナーピース)を終了した後もこれからも、Kazuya Imaiを応援してください。メッセージ等いただけましたら、返したいと思いますのでよろしくお願いします。


    2015.8.17
    芸術工学修士・デザイナー・映画監督
    Kazuya Imai

     

    16:13 | - | comments(0) | trackbacks(0)|
    映像イメージ論–想像力と映画(映像)
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      9)結論–個人の想像力が新しい映画(映像)を生む

       子供(少年)の想像力は部屋の中で遊びをしているとき、ある程度の想像力を獲得し、いろいろと想像する。いろいろと想像する中に想像力が大きくなって、大きい想像力を得ることができるようになってくる。

       映画(映像)の創作のように大きな想像力を必要とする芸術の中では、個人の想像力で創る映画(映像)でも大きな想像力により、企画、撮影、編集して、その中にまた想像力は働かせ、創造を得て、創作を行うこととなる。

       アジアン・ニューウェーブのようにスタイリッシュ、映像美を持つ映画を創作するにはさらに大きな想像力を必要とする。コラボレーションなども必要だ。

       それらが”ここじゃないどこかに繋がっている感じ”がし、人々と共感、シンパシーを生むことによって新しい芸術は人々に受け入れられ、広がりを持つ。

       中村一義のように一人の才能・努力により、想像性を持って創作が行われるとき、個人の想像力は天才性を示す。

       僕の『イメージあふれる夏』も僕の才能・努力により、コラボレーションもありながら、想像性を持って、創作が行われ、それがクリエイティブな創造性を持つこととなった。天才性を示す作品ができたと思う。

       これら才能と想像力、努力に今度は経験を加えるとき、今度は新しいイマジネーションを獲得できると思う。

       エクスペリエンス精神を持って、新しい経験をしようとするとき、新しい経験ができ、今度は新しいイマジネーションを獲得する。そして創造性を得て、新しい創作ができるようになると考えられる。

       才能と想像力、努力による作品の創作が天才性を得て、新しい作品を生み出した。それに今度はエクスペリエンス精神による新しい経験を加えるとき、イマジネーションは新しくなり、どんどんおおきなイマジネーションを得ることができるようになる。それが天才性を示すような創作と加わるとき、新しいイマジネーションによる新しい創作が行われるだろう。新しいイマジネーションが加わった作品は未だ見ぬ未知な作品を生み出すだろう。

       経験によって生まれる新しいイマジネーションに新しい創作の可能性があり、天才的な創作と相まうとき、新しい作品が生まれてくるだろう。

       個人の想像力による映画(映像)はこのような可能性に満ちており、新しい芸術作品の誕生を予感させる。新しい映画(映像)作品の誕生が新しい世界を生み出していくのではないかと考えられる。

       是非、新しい経験をして、大きなイマジネーションを得て、新しい映画、映像の誕生を生むように、期待したい。

       この時代のたくさんの映像を制作する人にも共にそれを期待したい。

      15:17 | 映像 | comments(0) | trackbacks(0)|
      映像イメージ論–想像力と映画(映像)
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        8)経験が才能と想像力、努力に加わる

         才能と想像力、努力があれば、新しい創作が行われ、新しい作品を生み出すことができる。

         しかしこれに経験を入れて考えてみたい。

         才能と想像力でイマジネーションは働く。それに努力があれば新しい作品を生み出すことができるといえる。これに経験をいれたらどうなるか。

         経験は場所と友達、新しい環境、エクスペリエンス精神があって、新しいことに挑戦することで得られる。しかしエクスペリエンス精神があって、新しいことに挑戦することは少し難しいものだ。

         エクスペリエンス精神を持って、新しいことに挑戦していれば、新しい経験が得られ、新しいことを考えられるようになる。経験をしたいとしてもそれは少しずつだ。少しずつの経験の積み重ねが大きな経験になり、その人を新しい段階へと高める。大きな経験があって、新しいことを考えられるようになって、それが才能と想像力と相まって、新しいイマジネーションを得て、新しい想像、創造を行えるようになって、新しい創作を生む。

         僕は難しいことだがエクスペリエンス精神を持って、勇気を持って、新しい経験をして、新しいことを考えれるようになりたいと思う。

         そして新しいイマジネーションを持って、新しい創作を行い、新しい作品を生み出すことができるようになりたい。そう思う。

        15:16 | 映像 | comments(0) | trackbacks(0)|
        映像イメージ論–想像力と映画(映像)
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          7)デビュー作と才能と天才

           ロックアーティストの中村一義は宅録でデモテープを作り、全てのパートを自分でやり、セルフプロデュースして音楽を作りあげた。そしてアルバム『金字塔』でデビューした。このアルバムは01.始まりとは 02.犬と猫 03.街の灯 04,天才とは 05.瞬間で 06.魔法を信じ続けるかい? 07.どこにいる 08.ここにいる 09.まる・さんかく・しかく  10.天才たち 11いっせーのっせっ! 12.謎 13.いつか 14.永遠なるもの 15.犬と猫 再び 16.(シークレットトラック)のラインナップとなっている。

           まる・さんかく・しかくの作詞、作曲、永遠なるもの、犬と猫 再びの編曲以外、全ての作詞、作曲、編曲が中村一義となっている。この点で中村一義は天才である。

           もう10年以上前に『金字塔』を買って何度も何度も聴いていたが、天才的なアルバムである。

          音楽もいいし、作詞もいい。それらの曲はメロディーが新しく、うつくしい。ボーカルも天才的である。作詞は個性的でかつ新しい。編曲も天才的である。

           個人でかつ一人でこれだけの楽曲を制作して発表できるのは苦労して学んだり、練習したり、身に付けたり、創作したりしなければならない。それはやはり天才である。個人でできることは限られているが、それを飛び越え、ファーストアルバムを完成させたことは努力もあるのだろう。しかし、想像性あふれる、楽曲はやはり天才だろう。個人で制作したが、制約を飛び越え、新しい作詞と作曲、アレンジとともに新しい楽曲を制作できたのは彼の天才性にあると思う。一人の努力と才能が実り、天才となる。新しい楽曲を制作して、世に問う。それから楽曲を聴いた人に新しい音楽を提示し、聴かせ、衝撃を味合わす。新しい天才の誕生だ。

           デビュー作はこのように新しい才能の努力によって生まれる。その人の才能が高度に高まったとき、天才と呼ばれる。

           僕のデビュー作『イメージあふれる夏』もこのような過程を経ている。まだ観ている人は少ないかもしれないが、世に問われた。観た人の感想は面白いというものが多い。僕も『イメージあふれる夏』の制作にたくさんの才能と努力をつぎ込んだ。新しい才能・天才として世の中に受け入れられますように。

          15:16 | 映像 | comments(0) | trackbacks(0)|
          映像イメージ論–想像力と映画(映像)
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            6)子供は想像力がある 

             子供は想像力がある。創作行為をしなくても子供はいろいろ考える。子供はいろいろ遊ぶのであるが、その過程で想像力が豊かである。いろいろとしているが、そのとき想像力が豊かである。また少年くらいであるが、いろいろと想像して遊ぶ。

             少年は想像遊びをする。昼間、学校で学び、友達と遊び、夜、部屋にいて、寝転がりながら、いろいろと想像して遊ぶ。昼間の学校のことを想像することもあれば、好きな女の子を想像することもある。いろいろと想像する中に、想像力が羽ばたき、映像的な想像をすることもある。映像的な想像は思考力、記憶力、想起力と合わさり、イマジネーションの羽を羽ばたかせるだろう。少年の想像力は個人の想像力を超え、ビジョンを得ることもあるだろう。ビジョンが個人を超え、世界に向けられて、発せられるかもしれない。

             個人の想像力から生まれる映画(映像)を創るとき、想像力が映画を生む。企画力、構想力、構成力、演出力、思考力、理解力、演出力なども全て想像力だ。企画を立て、撮影し、編集する中に、想像力が働く。一人でやるか誰かとコラボレーションするかはさておき、想像力が必要となる。

             映像を創作するとき、個人の想像力は最初少ないかもしれない。しかし、想像する過程でだんだんと大きい想像力となっていくだろう。さらに企画、撮影、編集する中に、その過程を通して、随所に想像力を働かせることで、想像力を増し、創造力を獲得するだろう。

             映像を創作するときの想像力はやがて、羽を羽ばたかせ、個人の想像力を超えた万人に共通する想像力となるだろう。そのとき映像は創造力を獲得し、創造性を増すだろう。想像性と創造性が相まって今度は新しい映像作品を創造することとなるだろう。

            15:15 | 映像 | comments(0) | trackbacks(0)|